テストによく出る表現技法を中原中也・萩原朔太郎・島崎藤村の「怖い詩」で学ぶ!

テストによく出る表現技法を中原中也・萩原朔太郎・島崎藤村の「怖い詩」で学ぶ! 国語
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 国語の教科書には必ず詩が載っています。中学入試や高校入試の国語では詩が出題されることもあります。

 そんな詩の種類や表現技法に関する知識を「怖い詩」を紹介しながら解説します。

詩とは何か?

 詩は「韻文(いんぶん)」とも呼ばれます。韻文とは、一定の規則(韻律)とリズムを持った文章です。俳句や和歌・短歌なども韻文の一種です。

 韻文に対して、規則やリズムに囚われず自由に書かれた文章が散文です。小説や評論、随筆、新聞記事、シナリオなどはすべて散文です。

 俳句や和歌・短歌などは五音と七音で構成されるので明らかに韻文です。しかし、歌の歌詞は詩の一種ですが、必ずしも韻律を持っているとは限りません。さらには、「散文詩」と呼ばれる、散文のような詩もあるので、「詩とは何か?」に対して、形式だけを根拠に答えるのは難しいでしょう。

 一般的に、詩の言葉は散文の言葉よりもさまざまな解釈を許容します

 たとえば、散文の中でも評論は筆者の主張を誤解なく伝えるのを目的とします。そのため、一つ一つの言葉は辞書的に定義されるか、筆者自身が定義するかして、解釈が一つに決まるように使われます。

 一方、詩には、どのようにでも解釈できる言葉が散りばめられていることがあります。同じ詩を読んだ百人が百人とも違う心情や風景を思い浮かべるかもしれません。これが詩のおもしろさであり、難しさでもあります。

詩の種類とは何か?

 詩の解釈には幅広さがありますが、詩の種類や表現技法は単なる暗記です。これらに関する問題が定期テストなどで出たら確実に正解したいところです。

 まずは詩の種類について紹介します。国語の教科書や参考書に載っている知識なので、しっかり覚えましょう。

口語詩・文語詩

 現代の話し言葉と、これに近い言葉が口語(こうご)です。一方、明治時代まで文章を書くのに使われていた言葉が文語(ぶんご)です。口語と文語の違いで次のように詩を分類します。

  • 口語詩 … 現代の話し言葉(に近い言葉)で書かれた詩。
  • 文語詩 … 明治時代まで文章を書くのに使われていた言葉で書かれた詩。

「口語は現代の言葉で、文語は昔の言葉」と説明されることがありますが、これだと混乱しかねません。旧仮名(歴史的仮名遣い)で書かれた文章でも、文体が現代の話し言葉と同じならば口語です

 たとえば、「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」(森鴎外「舞姫」冒頭)は、「つ」「いと」「なり」など、現代の話し言葉とは異なる文法・言葉が使われているので文語です。

 一方、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。」(梶井基次郎「桜の樹の下には」冒頭)は、「埋まる」など、旧仮名(歴史的仮名遣い)で書かれていますが、文体が現代の話し言葉と同じなので口語です。

定型詩・自由詩・散文詩

  • 定型詩 … 音数や語数などに一定のきまりがある詩。
  • 自由詩 … 音数や語数などに一定のきまりがない詩。
  • 散文詩 … 普通の文章のように書かれた詩。

 音数が五七五の俳句や、音数が五七五七七の和歌・短歌は定型詩です。

叙情詩・叙景詩・叙事詩

  • 叙情詩 … 心を表現した詩。
  • 叙景詩 … 風を表現した詩。
  • 叙事詩 … 出来を表現した詩。

詩の表現技法とは何か?

 ここからは「怖い詩」を実際に紹介しながら、その中で使われている表現技法について解説します。

 実際の詩を読み味わいながら、そこに使われている表現技法の効果を考えてみると、教科書などの用語をただ暗記するよりもおもしろいはずです。

中原中也「深夜の思ひ」(『山羊の歌』より)

深夜の思ひ

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆふべ)の鼻汁だ。

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)ふ梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしやぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪しげなる条(すぢ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附け
彼女は直きに死なねばならぬ。

「深夜の思ひ」は、中原中也(なかはらちゅうや)の第1詩集『山羊の歌に収録されている詩です。

 最後の一文「彼女は直きに死なねばならぬ。」にゾッとさせられます。中也がこれほどの感情を向けた女性は長谷川泰子(はせがわやすこ)です。女優を志していた泰子は中也と出会って一緒に生活します。しかし、中也の友人で文芸評論家、小林秀雄を選んで、中也のもとを去りました。

 そんな泰子を夜中に思い出した中也は、彼女の死を願う言葉を呟きながらも、彼女が自分のもとへ戻ってくることを願ったのでしょう。呪いのような中也の詩が災いしたからか、泰子は女優として成功しませんでした。

「深夜の思ひ」は口語自由詩で叙情詩です。以下は表現技法の解説です。

 下線部①の「泡立つカルシウム」は炭酸カルシウムで、サイダーなどが泡を噴き出した後、その泡が消えていく様子だと考えられます。したがって、「頑ぜない女の児の泣声」「鞄屋の女房の夕の鼻汁」は泡を表していることになります。

 このように、あるものを、それと似ている別のものを借りて表現することが比喩(ひゆ)です。そして、下線部①のように、「まるで~のようだ」など、比喩であることがはっきりとわかる言葉がない比喩が隠喩(いんゆ)・暗喩(あんゆ)・メタファーです

 下線部②は、それぞれの文末が「母親」「踊り」という名詞で終わっています。このように、名詞(体言)で文を終わらせることが体言止めです

 下線部③のそれぞれの文は「ヴェールを風に千々にされながら黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する。」「厳しき神の父なる海に彼女の肉は跳び込まねばならぬ!」が本来の言葉の順序ですが、その順序が逆になっています。このように、言葉の順序を逆にすることが倒置法です

萩原朔太郎「くさつた蛤」(『月に吠える』より)

くさつた蛤

半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟体動物のあたまの上には、
砂利や潮(しほ)みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。

ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。

「くさつた蛤」は、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の第1詩集『月に吠えるに収録されている詩です。

 朔太郎は、砂浜の蛤(はまぐり)を観察しているだけではなく(観察せずに空想しているのかもしれません)、蛤に自らの姿を重ねていると考えられます。

「非常に憔悴れてゐ」て「内臓がくさりかかつて居る」という描写は、病気などが原因の肉体的な苦しみではなく、神や信仰、罪などの問題で悩んでいた当時の心境を表しているのでしょう。生涯の友である室生犀星(むろうさいせい)や、敬愛する師である北原白秋(きたはらはくしゅう)に対する、一途でありながらも屈折した「同性の恋」(朔太郎から白秋への手紙より)に身を焦がしていたのかもしれません。

「くさつた蛤」は口語自由詩で叙情詩です。『月に吠える』の「再版の序」にも書かれていますが、この詩集が口語詩・叙情詩の新領域を開拓し、文壇における詩の評価を確立したことは、文学史的に覚えておくべき知識です。

 下線部①の「べろべろ」は、状態や様子を表した擬態語(ぎたいご)です。この後にも、「ざら、ざら、ざら、ざら」「ちらちら」「ぐにやぐにや」といった擬態語が使われています。擬態語と、音を表した擬音語(ぎおんご)、声を表した擬声語(ぎせいご)を合わせてオノマトペといいます。

 また、「(蛤が)舌を出して居る」という描写は、蛤を人間にたとえています。このように、人間でないものを人間にたとえる比喩が擬人法(ぎじんほう)です。ちなみに、ここでは「まるで~ようだ」などの言葉がないので隠喩です。

 下線部②では「流(なが)れてゐる」が3回繰り返されます。このように、同じ語句を繰り返すことが反復法・リフレインです

 また、「ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる」は比喩です。「やうに」という、比喩であることがはっきりとわかる言葉がある比喩は直喩(ちょくゆ)・明喩(めいゆ)です

島崎藤村「おきく」(『若菜集』より)

おきく

くろかみながく
    やはらかき
をんなごころを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごころの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢の毛を
黄楊の小櫛に
    かきあげよ

あゝ月ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なんと
    よみいでし
あつきなさけは
    誰がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衛はいづれ
    恋か名か
忠兵衛も名の
    ために果つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごころは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
蛇となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき

「おきく」は、島崎藤村(しまざきとうそん)の第1詩集『若菜集に収録されている詩です。

 明治時代には、西洋詩の影響を受けて、和歌や俳句、漢詩などとは違った文語定型詩の新体詩が生まれました。この新体詩で女性の恋心を表現した『若菜集』は、若い女性たちに受け入れられ、大人気となります。

 一方、『若菜集』の作者である島崎藤村は、41歳のとき、当時21歳だった姪っ子の島崎こま子と関係を持ち、妊娠させてしまいました。しかも、このおぞましい実体験を告白小説『新生』として発表したのですから、とんでもない男です。他にも、教師時代に教え子に恋をしたとか、女性関係の逸話には事欠きません。

 そんな藤村が自らの理想を投影した「六人の処女(おとめ)」の一人が「おきく」です。文語だと読みにくいので、まずは口語訳します。(改行部分は/で示しました)

【口語訳】黒髪が長く/軟らかい/女心を/誰が知るだろうか/男が語る/言葉を/本心と思っては/いけない/乙女心が/浅いということばかり/言い伝えられるのは/おかしいことだなあ/乱れて長い/髪の毛を/※1黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)で/かきあげなさい/ああ※2月草の色が/きっと消えてしまうだろう/恋もするとは/誰の言葉か/恋をして死のうと/詠んだ/厚い情けは/誰の歌か/道理のためには/血を流し/国には死んでしまった/男がいる/治兵衛はどちらを取るか/恋か名誉か/忠兵衛も名誉の/ために命が果てた/ああ昔より/恋をして死ぬ/男がいると/君は知っているか/女心は/さらにいっそう/深い情けが/こもるものだなあ/小春は恋に/血を流し/梅川は恋の/ために死ぬ/お七は恋の/ために焼け死に/高尾は恋の/ために命が果てた/悲しいことだなあ/清姫は/蛇となったのも/恋のせいで/優しいことだな/佐容姫は/石となったのも/恋のせいで/男の恋の/遊び事は/旅に捨てていく/情けだけだ/恋をしてはいけない/女の子よ/悲しんではいけない/私の友よ/恋するときと/悲しみと/どちらが長いか/どちらが短いか

※1 「黄楊」の読みである「つげ」に「告げ」をかけている。黄楊の櫛を持って外に出て、道祖神を念じ、来る人の言葉によって吉凶を占う風習があった。

※2 月草とはツユクサの別名。ツユクサは染料として使われるが、変色しやすいので、人の心が移ろいやすいことのたとえとされる。

 ここまでの説明でわかると思いますが、「おきく」は文語定型詩で叙情詩です。七音と五音がくり返されます。

 覚えておきたい表現技法は下線部の対句法(ついくほう)です。対句法は、対応する言葉を同じような組み立てで並べることです。対応する言葉は、対照的な言葉同士のときもあれば、似た意味の言葉同士のときもあります。

 たとえば「かなしからずや/清姫は/蛇となれるも/こひゆゑに」と「やさしからずや/佐容姫は/石となれるも/こひゆゑに」は、「~ずや/~は/~となれるも/こひゆゑに」という同じ組み立てです。「かなし」と「やさし」、「清姫」と「佐容姫」、「蛇」と「石」がそれぞれ対応する言葉です。

 さて、「おきく」には、芸能作品や伝承に登場する人物の名前がいくつも登場します。

 近松門左衛門の人形浄瑠璃の登場人物たちは、『心中天網島』の治兵衛と小春、『冥途の飛脚』の忠兵衛と梅川です。どちらの浄瑠璃も、男と遊女が恋をするものの悲劇的な結末を迎えるというストーリーです。

 お七(しち)は「八百屋(やおや)お七」と呼ばれる少女で、恋人に会いたいがために放火した罪で火刑に処されたとされます。文学や歌舞伎などで主人公とされてきました。

 高尾(たかお)は長唄『高尾懺悔(たかおさんげ)の段』に登場する傾城(けいせい)です。傾城とは、男が城や国を傾けて滅ぼすほど夢中になる美人のことで、遊女を意味するようになりました。歌舞伎舞踊のジャンルである「傾城」では、上級の遊女の風俗が描かれます。『高尾懺悔の段』は、傾城高尾の亡霊が八百屋お七に生前の思い出や地獄の責め苦などを物語るという筋です。

 清姫(きよひめ)は、紀伊国(現在の和歌山県)道成寺にまつわる伝説の主人公です。清姫は、旅の僧である安珍(あんちん)に一目惚れして関係を持ちますが、その安珍に逃げられ、怒りのあまり蛇になってしまいます。最終的に、道成寺の鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺しました。

 佐容姫(さよひめ)は肥前国松浦郡(現在の佐賀県唐津市)に住む豪族の娘でした。6世紀、夫の大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が朝鮮へ出征することになり、佐容姫は船出する夫を見送りながら嘆き悲しみます。そして、悲しみのあまり石となりました。

 女性関係にだらしない藤村が、悲劇のヒロインたちの名前を挙げながら、恋愛の悲しみを詠み上げるというのは、ホラーとしかいいようがありません。

詩の表現技法のまとめ

 3篇の「怖い詩」を紹介しましたが、最後にこれらの詩で使われていた表現技法をまとめておきます(省略法を追加しました)。受験生の皆さんはしっかり覚えましょう。

1. 比喩 … あるものを、それと似ている別のものを借りて表現すること。

  • 直喩・明喩 … 比喩であることがはっきりとわかる言葉がある比喩。
  • 隠喩・暗喩・メタファー … 比喩であることがはっきりとわかる言葉がない比喩。
  • 擬人法 … 人間でないものを人間にたとえる比喩。

2. 倒置法 … 言葉の順序を逆にすること。

3. 省略法 … 言葉を省略すること。

4. 対句法 … 対応する言葉を同じような組み立てで並べること。

5. 反復法・リフレイン … 同じ語句を繰り返すこと。

6. 体言止め … 名詞(体言)で文を終わらせること。

7. オノマトペ … 擬音語・擬声語・擬態語の総称。

  • 擬音語 … 音を表した言葉。
  • 擬声語 … (擬音語の中でも)声を表した言葉。
  • 擬態語 … 状態や様子を表した言葉。

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