『捜神後記』で東晋の将軍・桓温の怪異譚を読む!自らの体を切り刻む比丘尼が超怖い

『捜神後記』で東晋の将軍・桓温の怪異譚を読む!自らの体を切り刻む比丘尼が超怖い 古典
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

 4~5世紀の中国華北は、数多くの国々が興亡する五胡十六国(ごこじゅうろっこく)時代の真っただ中でした。

 この時代に活躍した政治家・軍人が桓温(かんおん)です。桓温は東晋の将軍として成漢を滅ぼすなどの軍功で知られます。一方、数々の逸話も残っていて、陶淵明(とうえんめい)の志怪小説『捜神後記(そうじんこうき)』にも登場します。

 今回は、桓温が出会った不思議な比丘尼(尼僧)の話を紹介します。受験生は問題も解いてみましょう。

浴室を覗いた桓温が目にしたのは……

【問題】次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

 晉大司馬桓溫、字元子。末年、A有一比邱尼、失其名、來自遠方、投溫為檀越。尼才行不恒、慍B敬待、居之門內。

 尼每浴、必至移時。①溫疑而窺之。見尼裸身、揮刀、破腹出臟、斷截身首、支分臠切。溫怪駭而還。及至尼出浴室、身形如常。②溫以實問、尼答曰、「③若遂凌君上、形當如之。」時溫C謀問鼎、聞④悵然。故以戒懼、終守臣節。

 尼後D辭去、不知所在。

※大司馬=軍事を取り仕切る最高官。 ※投溫為檀越=温のもとへ身を寄せて温を信者とした ※臠切=細切れの肉 ※駭=驚く ※問鼎=政権を奪おうと企むこと。 ※悵然=うちひしがれるさま。 ※戒懼=過ちを犯さないように気を付けること。

問1. 下線部A~Cの漢字の読みを、送り仮名も含めて、現代仮名遣い・ひらがなでそれぞれ答えなさい。

問2. 下線部Dの「辭」と同じ意味の「辞」が使われている熟語を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。

 ア 辞職  イ 辞書  ウ 時世  エ 辞令

問3. 下線部①について、温はどのようなことを疑ったのですか。二十字以内で説明しなさい。

問4. 下線部②について、温は比丘尼にどのようなことを聞いたのですか。五十字以内で説明しなさい。

問5. 下線部③を書き下しなさい。

問6. 下線部④の内容を六十字以内で説明しなさい。

 晉の大司馬だった桓温は一人の比丘尼(尼僧)を自宅に住まわせました。比丘尼はいつも入浴に時間がかかります。これを不審に思った桓温が浴室を覗くと――。

 Hな展開になるかと思いきや、とてつもなく恐ろしく、グロテスクなことが起こります。しかし、肝が据わった桓温は、比丘尼を問いただし、その真意を聞き出すのでした。

幽美狐
幽美狐

そもそもの話として、女性が入ってる浴室を覗くのは、どう考えてもアウトよ!

自らの体を切り刻む比丘尼の真意とは?

 問題を解きながら、比丘尼が桓温に何を伝えようとしていたのかを確認しましょう。

1. 漢字の読みを答える問題

 問1の答えは「A たちまち B はなはだ C まさに」です。

 Aの「忽ち」は「たちまち」と読み、「急に・突然」を意味します。思いがけなくある自体が発生するさまを表します。

 Bの「甚だ」は「はなはだ」と読み、「たいそう」「非常に」を意味します。普通の程度をはるかに超えているさまを表します。

 Cの「方に」は「まさに」と読み、「ちょうど」を意味します。行為がこれから始まろうとしていることを強調します。

2. 同じ意味の漢字を含む熟語を選ぶ問題

 問2の答えはです。

「辭」は「辞」の旧字体です。「辞」には、主に「ことば」「やめる・ことわる」「別れを告げる」の3つの意味があります

「辞去」の「辞」の意味は「別れを告げる」で、同じ意味の「辞」が含まれるのはウ「辞世」です。辞世は死ぬことを意味します。

 ア「辞職」の「辞」の意味は「やめる」です。イ「辞書」とエ「辞令」の「辞」の意味は「ことば」です。

3. 本文の読解に関する問題

 問3の答えは「(例)比丘尼の入浴時間がいつも長いこと。」です。

 下線部①の直前の文「尼每浴、必至移時。」を現代語訳して字数内にまとめます。

「每」は「つねに」と読み、「いつも」を意味します。また、「移時(時を移す)」は「余計な時間がかかる」を意味します

4. 本文の読解に関する問題

 問4の答えは「(例)比丘尼が浴室で刃物を使って自分の体を切り刻んだのに、浴室から出てくるともとの体に戻っていること。」です。

 下線部②の前の「見尼裸身~身形如常。」を現代語訳して字数内にまとめます。「見尼裸身~支分臠切」はグロテスクな描写が続くので、ここを詳しく書く必要はありません。(詳しい現代語訳は下の【現代語訳】で確認してください)

5. 白文を書き下し文にする問題

 問5の答えは「若し遂に君上を凌がば、形當に之のごとくなるべし」です。(訓読文を確認したい読者はこちらをクリックしてください)

「若」は「ごとし」「なんぢ」「もし」などの読み方が考えられます。文頭にあることから「ごとし」ではなさそうです。また、「なんぢ」は「お前」という意味で、対等かそれ以下の相手に対して用いられる二人称です。比丘尼が桓温をお前呼ばわりするとは考えにくいので、「もし」と読みましょう。

「若」を「もし」と読むなら、「若遂凌君上」に用いられている句法は仮定です。仮定は「若(如・即・苟)A」という形で「もしAならば」という意味になります。Aは活用語の未然形なので、「凌」は「凌がば」です。(ちなみに「苟」は「いやしくも」と読みます)

「當」は「当」の旧字体です。「当」は再読文字で「まさに~すべし」と読み、「当然~すべきだ」「きっと~に違いない」を意味します。したがって、比況・例示の助動詞「如」は「ごとし」と読むだけでなく、「ごとくなる」などの形にして、「べし」に接続できるようにします。

「形」は「姿かたち=体」という意味で解釈しましょう。また、「之」の指示内容は「破腹出臟、斷截身首、支分臠切」です。いずれにしても、問5は書き下し文にするだけなので、具体的な意味がわからなくても解けるはずです。

6. 指示語の内容を答える問題

 問6の答えは「(例)桓温が君主から権力を奪おうとすれば、その計画は失敗して、比丘尼と同じように、桓温の体も切り刻まれるだろうということ。」です。

『捜神後記』で東晋の将軍・桓温の怪異譚を読む!自らの体を切り刻む比丘尼が超怖い

比丘尼

 問5を現代語訳して字数内にまとめます。桓温が比丘尼から聞いたのは、傍線部③「もし(あなたが)とうとう君主を超えようとするならば、(あなたの)体はきっとこのようになるに違いありません」です。ここで「このように」の内容は「破腹出臟、斷截身首、支分臠切」なので、簡潔にまとめると「体を切り刻まれる」です。

 比丘尼は桓温に、比丘尼自身の体を切り刻むところを見せて、「あなたが君主から権力を奪おうとすれば、失敗して悲惨な目に逢います。だから、やめなさい」と伝えようとしたと考えられます。このことを理解した桓温は「故以戒懼、終守臣節」となりました。

書き下し文と現代語訳

【書き下し文】晉の大司馬桓溫、字(あざな)は元子なり。末年、忽(たちまち)ち一比邱尼(びくに)有り、其名を失ひ、遠方より來り、溫に投(とど)まりて檀越(だんおつ)と為す。尼の才行恒(つね)ならず、慍甚(はなは)だ敬待し、之を門內に居さしむ。

 尼每(つね)に浴するに、必ず時を移すに至る。溫疑ひて之を窺ふ。尼の裸身となり、刀を揮(ふる)ひ、腹を破り臟を出し、身首を斷截し、臠切(れんせつ)を支分するを見る。溫怪しみ駭(おどろ)きて還る。及ち尼の浴室を出づるに至り、身形常のごとし。溫實を以て問ふに、尼答へて曰はく、「若し遂に君上を凌がば、形當に之のごとくなるべし」と。時に溫方(まさ)に問鼎(もんてい)を謀(はか)らんとするも、之を聞きて悵然(ちょうぜん)たり。故に戒懼(かいく)を以て、終に臣節を守る。

 尼後に辭去し、在る所知らず。

【現代語訳】晉(しん)の大司馬桓温は、字(あざな)は元子だった。晩年、思いがけなく一人の比丘尼が現れて、その名前はわからないが、遠くから来て、温のもとへ身を寄せて(温を)信者とした。比丘尼の才能が並外れていたため、温は(比丘尼を)たいそう尊敬してもてなし、この人を邸宅に住まわせた。

 比丘尼は入浴するときはいつも、長い時間をかけていた。温は疑念を抱いて、これを密かに覗き見た。(温は)比丘尼が裸体となり、刃物を振るって、腹を裂いて内臓を引きずり出し、体と首を切り刻み、細切れの肉を分けるのを見た。温は怪しみ驚いて帰った。その後、比丘尼が浴室から出てきたが、体はいつも通りだった。温が真実を問いただすと、比丘尼が答えて言うには、「もし(あなたが)とうとう君主を超えようとするならば、(あなたの)体はきっとこのようになるに違いありません」。(温は)このときちょうど政権を奪おうと企んでいたが、これを聞いてうちひしがれた。それ故に過ちを犯さないように気を付け、最後まで臣下としての節操を守り通した。

 比丘尼は後に(温の邸宅を)立ち去り、行方知れずとなった。

桓温の逸話に由来することわざを紹介

 桓温の逸話はいくつもありますが、その中から、日本にも伝わってよく知られていることわざを紹介します。

 1つめは竹馬の友です。原典は『晋書』の「殷浩伝(いんこうでん)」です。

 殷侯既廃。桓公語諸人曰、「少時與淵源共騎竹馬、我棄去、已輒取之。故當出我下。」
【書き下し文】殷侯(いんこう)既に廃せらる。桓公(かんこう)諸人に語りて曰く、「少(わか)き時、淵源と與(とも)に竹馬に騎るに、我棄て去れば、已に輒ち之を取る。故より當に我が下に出づべし」と。
【現代語訳】殷浩は既に地位を失っていた。桓温が人々に語って言うには、「幼いとき、淵源(殷浩のあざな)と一緒に竹馬に乗ったが、私が(竹馬を)棄てて立ち去ると、そのたびごとに(淵源が)これを拾った。もとから(淵源は)私の下になるべき人物だった」と。

 原典を読むと、桓温が殷侯を見下しているのがわかります。殷侯を馬鹿にするためだけに幼少期の出来事を持ち出して、とても陰険です(笑)

 そんな竹馬の友ですが、日本では「幼い頃、一緒に竹馬に乗って遊んだ友達=幼い頃から親しい友達」という意味になってしまいました。

 2つめは、断腸です。出典は『世説新語』「黜免(ちゅつめん)」です。

 桓公入蜀、至三峽中。部伍中有得猿子者。其母縁岸哀號、行百餘里不去。遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、腸皆寸寸斷。公聞之怒、命黜其人。
【書き下し文】桓公蜀(しょく)に入り、三峽の中に至る。部伍の中に猿の子を得たる者有り。其の母は岸に縁(そ)ひて哀號(あいごう)し、行くこと百餘里にして去らず、遂に船を跳び上がり、至れば便即ちに絶ゆ。其の腹中を破り視れば、腸は皆寸寸に斷たる。公之を聞きて怒り、命じて其の人をして黜(しりぞ)けしむ。
【現代語訳】桓公は蜀に攻め入り、三峡の中に到達した。部隊の中に猿の子供を手に入れた者がいた。その母猿は岸に沿って(船を追いかけて)悲しみ泣き叫び、(船が)百里以上進んでも(母猿は)立ち去らなかった。(母猿は)とうとう船に跳び上がり、(子猿に)たどり着くとすぐに死んだ。その腹を裂いて見ると、腸がすべてズタズタに切れていた。桓公はこれを聞いて怒り、命令を出してその人を辞めさせた。

 桓温は、子猿を失った母猿に同情して部下をクビにしました。蜀に攻め入るという重要なときに、いったい何を考えているのでしょうか? 桓温の価値観がよくわかりません。

 この故事がもとになって、断腸は「はらわたが千切れるほど、悲しくつらいこと」を意味するようになりました。

狸雄
狸雄

比丘尼の入浴を覗いたり、大嫌いな人物を見下したり、感情的に部下をクビにしたり……。桓温の行動って、どこかおかしいよね。

幽美狐
幽美狐

本当にろくでもないことばかりしてるわ。大功を成し遂げる英雄は、頭がいかれてないとダメなのかしら?

コメント

タイトルとURLをコピーしました