2008年の大学入試センター試験の古文は、浅井了意(あさいりょうい)の仮名草子『狗張子(いぬはりこ)』「死後の烈女」 から出題されました。
浪人の福島角左衛門は、摂津国高槻の近くにて、貧しい生活をする一人の女と出会います。その美しさに惹かれ、女を誘惑しますが拒絶されます。女は十年間ずっと、行商人の夫の帰りを待ちながら、義両親に孝行し、家を守り続けてきました。しかし、この女の正体は――。
ストーリーが気になる読者は、「狗張子 センター」などのキーワードでネット検索して、現代語訳を見つけてください。
さて、今回は「死後の烈女」 の元ネタの一つと思われる中国の怪談を紹介します。陶淵明(とうえんめい)の志怪小説『捜神後記(そうじんこうき)』「張姑子(ちょうこし)」です。
山奥に逃げた男が美しい女と出会う
【問題】次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
漢時、諸暨縣吏吳詳者、憚役委頓、①將投竄深山。行至一溪、日欲暮、見年少女子、采衣、A甚端正。女曰、「我一身獨居、又無鄰里、②唯有一孤嫗。相去十餘步B爾。」詳聞甚悅、便即隨去。
行一里餘、即至女家。家甚貧陋、為詳設食。至一更竟、C忽聞一嫗喚云、「張姑子。」女應曰、「諾。」詳問、「是誰。」答云、「③向所道孤獨嫗也。」二人共寢息。
至曉、雞鳴、詳去、二情相戀、女以紫手巾贈詳、詳以布手巾報之。行至昨所應處、過溪。其夜、大水暴溢、深不可涉。D乃回向女家、④都不見昨處、但有一塚爾。
※憚役委頓=任務を避けて意気消沈する。 ※投竄=逃げること。 ※采衣=美しい着物。 ※鄰里=近隣との関係。 ※孤嫗=夫と死別した妻。ここでは女の母親。 ※一更竟=日暮れから夜の時間帯。 ※姑子=未婚の女子。
問1. 下線部A~Dの漢字の読みを、送り仮名も含めて、現代仮名遣い・ひらがなでそれぞれ答えなさい。
問2. 下線部①~③をそれぞれ書き下しなさい。
問3. 下線部④を、「昨處」の内容を明らかにして現代語訳しなさい。
吳詳は若くて美しい女と山奥で出会い、女の家で一夜を共にします。二人はお互いに惹かれ合い、別れ際に手拭きを交換しました。しかし、詳が女の家を再び訪れると、そこには――。
女の正体はいったい何だったのでしょうか?
女の家を再び訪れた男が見たものは?
問題を解きながら、「張姑子」のストーリーを確認しましょう。
1. 漢字の読みを答える問題
問1の答えは「A はなはだ B のみ C たちまち D すなわち」です。
Aの「甚だ」は「はなはだ」と読み、「たいそう」「非常に」を意味します。普通の程度をはるかに超えているさまを表します。
Bの「爾」は「のみ」と読み、限定の「だけ」を意味する副助詞です。「のみ」と読む漢字には已・耳・爾・而已・而已矣の5種類があるので覚えましょう。また、書き下し文では、いずれの漢字も「のみ」とひらがな表記します。
Cの「忽ち」は「たちまち」と読み、「急に・突然」を意味します。思いがけなくある自体が発生するさまを表します。
Dの「乃ち」は「すなわち」と読み、「そこで」を意味します。
2. 白文を書き下し文にする問題
問2では、下線部①と②は句法を正しく訳す必要があり、下線部③は「向」「道」を正しく読めるかどうかがポイントです。
再読文字「將」
問2の下線部①の答えは「將に深山に投竄せんとす」です。(訓読文を確認したい読者はこちらをクリックしてください)
下線部①の「將」は「将」の旧字体です。そして、「將」は再読文字で、「將(まさ)に~んとす」と読み、「今にも~しようとする」と訳します。
「投竄」は注にある通り、「逃げること」を意味します。動詞にするため、「する」という送り仮名をつけます。そして、「將に~んとす」に含まれる意志の助動詞「ん」に接続するので、「する」は未然形の「せ」となります。
また、「投竄」の目的語の「深山」には、助詞の「に」を送り仮名としてつけます。
ちなみに、「竄」は「逃げる」を意味する漢字です。あなかんむりに鼠からもわかる通り、ネズミが穴に隠れる様子に由来します。一方、日常的な熟語には、文書や記録を書きかえる「改竄(かいざん)」があります。近年は「改ざん」と書かれますが、「ざん」は「竄」です。
限定の句法
問2の下線部②の答えは「唯だ一孤嫗有るのみ」です。(訓読文を確認したい読者はこちらをクリックしてください)
下線部②には「唯」があるので、「唯(た)だ~のみ」という限定の句法です。文末に「のみ」を表す「耳」などがありませんが、書き下すときは「のみ」という送り仮名をつけましょう。限定を訳すと「ただ~だけだ」になります。
ちなみに、「ただ」と読む漢字には「唯・只・祇・止・直・徒・但・特」などがあります。「独(ひとり)」 や 「僅・纔・才(わづかに)」も「ただ」と同じ意味で限定を表します。たとえば、「独り~のみ」は「一人~だけだ」ではなく「ただ~だけだ」と訳すので注意しましょう。
「向」「道」の読みと意味
問2の下線部③の答えは「向に道ふ所の孤獨の嫗なり」です。(訓読文を確認したい読者はこちらをクリックしてください)
「向」は「さきに」と読み、「以前」を意味します。また、「道」には「いう(言う)」の意味があります。「報道」の「道」が「いう」の意味です。
「所」は返読文字で、その直後の動詞から返って読みます。そのため、「所道」は「道ふ所」と書き下します。さらに、「所道」が「孤獨嫗」という名詞(体言)を修飾すると考えて、「所」に送り仮名「ノ」をつけて「所の」と読みましょう。
文末の「也」は断定の助動詞「なり」なので、ひらがなで書き下します。
3. 現代語訳する問題
問3の答えは「(例)昨夜詳が女と一緒に寝た貧しい家もすべて見当たらず、ただ塚が一つあるだけだった」です。(訓読文を確認したい読者はこちらをクリックしてください)
「都」は「すべて」と読み、「全て」の意味です。「すべて」の意味で「都」が使われている熟語には、副詞の「都合」があります。「都合三千円です。」は「すべてあわせて三千円です。」と言いかえられます。
「昨處」は「昨日の場所」という意味です。「『昨處』の内容を明らかにして」という指示に従って、「昨夜詳が女と一緒に寝た貧しい家」などと具体的に書きましょう。
「但~爾」は「但だ~のみ」と書き下す限定の句法で、「ただ~だけ」と訳します。「爾」は副助詞「のみ」なのでひらがなで書き下します。
書き下し文と現代語訳
【書き下し文】漢の時、諸暨縣(しょきけん)吏の吳詳(ごしょう)は、役を憚りて委頓し、將に深山に投竄(とうざん)せんとす。行きて一溪に至り、日暮れんと欲するに、年少(わか)き女子の、采衣(さいい)にて、甚だ端正なるに見(まみ)ゆ。女曰はく、「我一身にして獨居し、又鄰里(りんり)無し、唯だ一孤嫗(こうう)有るのみ。相去ること十餘步のみ」と。詳聞きて甚だ悅び、便即(すなわ)ち隨ひて去る。
行くこと一里餘、即ち女の家に至る。家甚だ貧陋(ひんろう)なるも、詳の為に食を設く。一更の竟(さかい)に至り、忽ち一嫗の喚き云ふを聞くに、「張姑子」と。女應へて曰はく、「諾」と。詳問ふに、「是は誰」と。答へて云はく、「向に道ふ所の孤獨の嫗なり」と。二人共に寢息す。
曉に至り、雞鳴き、詳去るに、二情相戀し、女紫の手巾を以て詳に贈り、詳布の手巾を以之に報ふ。行きて昨の應處する所に至り、溪を過ぐ。其の夜、大水暴溢し、深くして涉るべからず。乃ち女の家に回向するも、都て昨の處と見えず、但だ一塚有るのみ。
【現代語訳】漢の時代、諸暨県の役人の吳詳は、任務を避けて意気消沈し、今まさに山奥に逃げようとした。(山に)行って谷に到着し、日が暮れようとするとき、(吳詳は)若い女子で、美しい着物を着て、たいそう端正な女に出会った。女が言うには、「私は身一つで独り暮らししていて、近隣との関係もなく、ただ母一人がいるだけです。こことの距離は十数歩だけです」と。詳は(女の話を)聞きてたいそう喜び、すぐに(女に)ついて行った。
一里ほど行くと、女の家に到着した。家はたいそう貧しかったが、詳のために食事を用意した。夜になって、急に老婆が「張や」と言うのを聞いた。女は「はい」と返事をした。詳は(女に)「この人は誰ですか」と聞いた。(女が)答えて言うには、「先ほどお話ししたたった一人の母です」と。二人は一緒に寝た。
明け方になって、鶏が鳴き、詳が立ち去るとき、二人は互いに恋しく思い、女は紫の手拭きを詳に贈り、詳は布の手拭きをこの女に渡した。(詳は)行って昨日の場所に到着し、谷を通り過ぎた。その夜、大量の水があふれて、(詳は)渡れなかった。そこで女の家に戻るが、すべて昨日の場所には見えず、ただ塚が一つあるだけだった。
男が一夜を共にした女の正体とは?
下線部④の訳を簡潔にまとめると、「女の家はなく、一つの塚だけがあった」です。これは、昨夜詳が一夜を共にした女は幽霊で、女の家も幻だったと解釈できます。こう解釈できないと、何が何だか意味のわからない話になってしまいます。よくある怪談のパターンなので、知らなかった受験生は覚えましょう。
さて、『捜神後記』「張姑子」では、詳と女は「二情相戀」でした。ということは、「二人共寢息」のときに男女の営みもあったのではないかと推測できます。一方、『狗張子』「死後の烈女」 では、角左衛門は女を誘惑しますが拒絶されます。そして、男女の営みに至るどころか、女の家をさっさと立ち去るのでした。
「張姑子」も「死後の烈女」 も「男が出会った女は幽霊で、女の家があったところには塚があるだけだった」というストーリー展開は同じです。しかし、「男と女がどういうやり取りをしたか?」は大きく異なります。「死後の烈女」では女の生前についてもいろいろ書かれています。
このように、ストーリー展開が同じ小説(物語)の相違点を読み比べてみるのは、おもしろいだけでなく、入試国語の対策としても役立ちます。小説(物語)の読解問題が苦手な受験生におすすめの勉強法です。
コメント