年老いた猫は妖怪になるといいます。この妖怪は「猫又」「猫股」(ねこまた)と呼ばれます。妖怪化した猫を普通の猫と区別するためか、尻尾が2本ある猫の姿でよく描かれます。
猫又の言い伝えは、鎌倉時代前期の日本で既に知られていたようです。藤原定家の日記『明月記』には、天福元年(1233年)8月2日の文章に猫又の記述がみられます。これより少し遅れて、今回紹介する『徒然草』にも猫又が登場します。
『徒然草』は、鎌倉時代末期に成立した随筆です。作者は兼好法師です。清少納言『枕草子』(平安時代中期)、鴨長明『方丈記』(鎌倉時代前期)とともに「日本三大随筆」の一つとされます。
猫又が登場する文章を以下に引用します。
「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(へあ)がりて、猫またになりて、人取ることはあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(なにあみだぶつ)とかや、連歌(れんが)しける法師の、行願寺(ぎゃうぐわんじ)の辺(ほとり)にありけるが聞きて、ひとり歩(あり)かん身は、心すべきことにこそと思ひける頃しも、ある所にて夜更(ふ)くるまで連歌して、ただひとり帰りけるに、小川の端(はた)にて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸(くび)のほどを食はんとす。胆心(きもごころ)もうせて、防がんとするに、力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに身知れる僧なり。「こはいかに」とて、川の中より抱きおこしたれば、連歌の賭け物取りて、扇、小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。稀有(けう)にして助かりたるさまにて、這(は)ふ這ふ家に入りにけり。
飼ひける犬の、暗けれど主(ぬし)を知りて、飛びつきたりけるとぞ。
「猫又が人間を食べる」という噂が流れる
引用した文章について、高校の定期テストに出そうな文法事項を中心に解説していきます。細かい品詞分解は、ネットで「徒然草 猫又 品詞分解」と検索すればいくつもページがヒットするので、そちらで確認してください。
「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上がりて、猫またになりて、人取ることはあなるものを」と言ふ者ありけるを、
【現代語訳】「奥山に、猫またというものがいて、人を食べるそうだ」と人が言ったところ、「山ではないけれど、このあたりにも、猫が年月を経て化けて、猫またになって、人を取ることはあるそうだが」と言う者がいたのを、
文章の冒頭から、当時の人々の間で、「猫又が人間を食べる」という噂が流れていることがわかります。
「人を食らふなる」の「なる」は伝聞推定の助動詞「なり」の連体形です。「なり」には伝聞推定と断定の2種類あって、伝聞推定は終止形(ラ変動詞は連体形)に接続、断定は体言や連体形に接続します。「食らふ」はハ行四段活用動詞で終止形も連体形も「食らふ」なので、「なる」の直前を見ただけでは「なる」が伝聞推定か断定かを判断できません。そのため、文脈判断で伝聞推定とします。ちなみに、「なる」の後ろには「ものあり」が省略されていると考えましょう。
「山ならねども」の「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形です。「人を食らふなる」の「なる」と区別しましょう。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形です。
「猫の」は「猫が」と訳すので、ここの「の」は主格の格助詞です。「名詞+の+用言(動詞・形容詞・形容動詞) 」のときの「の」は主格になりやすいことを覚えましょう。
「あなるものを」は「あ/なる/ものを」と品詞分解します。「あなる」は、ラ行変格活用動詞「あり」の連体形「ある」が、伝聞推定の助動詞「なり」の連体形「なる」に接続したものです。「る」が撥音便で「ん」に変化して「あんなる」となり、さらに「ん」の表記が省略されています。したがって、「あなる」は「あんなる」と発音しましょう。「ものを」は一語で、逆接の確定条件を表す接続助詞です。
ねえ、「あなる」ってどういう意味?
あなる? ちょっとあんた、どうしてそんなことを女子の私に聞くのよ? セクハラよ!
えっ? おいら、「人取ることはあなるものを」の訳を知りたかっただけなんだけど……。
それは「あなる」じゃなくて「あんなる」って読むのよ!
夜道を一人で歩く法師が猫又に襲われる!?
何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、
【現代語訳】なんとか阿弥陀仏とかいう、連歌をしていた法師で、行願寺の近くに住んでいた者が聞いて、
「何とか阿弥陀仏」という名前の法師が登場します。この法師は連歌をしながら生活していました。連歌とは、短歌の上の句(五七五)と下の句(七七)を複数人で交互に詠みつないで作っていく詩歌です。
特に重要な文法は「の」の用法です。
「連歌しける法師の」の「の」は、後ろの「行願寺の辺にありける」とイコールの関係を表します。そのため、「連歌をしていた法師で」と訳します。このように、イコールの関係を表す「の」は同格です。
一方、「行願寺の辺」の「の」は、普通に「行願寺の近く」と訳します。「名詞+の+名詞」のときの「の」は連体修飾格になりやすいことを覚えましょう。
ここで、「の」の用法の見分け方をまとめます。
- 名詞+の+用言(動詞・形容詞・形容動詞) → 「の」を「が」と訳せる → 主格
- 名詞+の+名詞 → 「の」を「の」と訳せる → 連体修飾格
- 「の」の前後がイコールの関係 → 「の」を「で」と訳せる → 同格
- 「の」の後ろに「は」「を」などの格助詞が続く → 「の」を「のもの」「のこと」などと訳せる → 体言の代用
- 名詞+の+用言(動詞・形容詞・形容動詞) → 「の」を「のように」と訳せる → 連用修飾格(比喩)
「行願寺の辺にありけるが」は、過去の助動詞「けり」の連体形「ける」の後ろに「者」「人」「法師」などを補って訳します。
ひとり歩かん身は、心すべきことにこそと思ひける頃しも、ある所にて夜更くるまで連歌して、ただひとり帰りけるに、
【現代語訳】一人歩きをする身としては、気をつけなければならないことだと思っていたちょうどそのとき、ある所で夜が更けるまで連歌をして、ただ一人で帰っていたが、
法師は「猫又に気をつけよう」と思っていますが、夜遅くまで連歌をして、夜道を一人で帰ることになりました。
「ひとり歩かん身は」の「ん」は婉曲(えんきょく。遠回しな言い方)の助動詞「ん」の連体形です。後ろに名詞があるときの「ん」は、多くの場合、婉曲になります。婉曲の「ん」を訳す必要はありません。
「あなたが好き」って言うのは恥ずかしいから、「あなたのような人が好き」って遠回しな言い方をすることがあるじゃない? この言い方の「ような」が婉曲よ。
小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸のほどを食はんとす。
【現代語訳】小川のほとりで、噂に聞いた猫またが、ねらったとおりに足元へ突然やって来て、すぐに飛びつくと同時に、首のあたりを食おうとする。
ついに猫又が現れて、法師に襲いかかりました。
「音に聞きし」の「音」は「噂」という意味で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。この文章に限らず、「音に聞く」「音に聞こゆ」の「音」は、多くの場合「噂・評判」と訳します。
「食はんとす」の「ん」は意志の助動詞「ん」の終止形です。
法師を襲った猫又の正体は何だったのか?
胆心もうせて、防がんとするに、力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに身知れる僧なり。
【現代語訳】(法師は)正気も失って、防ごうとするが、力も出ず、足も立たず、小川へ転がりこんで、「助けてくれ、猫まただよう、猫まただよう」と叫ぶと、(人々が)家々からたいまつをともして走り寄って見ると、このあたりで見知っている僧である。
法師は猫又にびっくりして、体の力が抜けて、小川に落ちてしまいます。そんな法師の叫び声を聞いて、家々から人々が出てきました。
「防がんとするに」の「ん」は意志の助動詞「ん」の終止形です。「身知れる僧なり」の「なり」は断定の助動詞「なり」の終止形です。
「こはいかに」とて、川の中より抱きおこしたれば、連歌の賭け物取りて、扇、小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。稀有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。
【現代語訳】(人々が)「これはどうしましたか。」と言って、川の中から(法師を)抱き起こしたところ、連歌の賞品として取って、扇、小箱など懐に持っていたものも、水に浸かってしまった。奇跡的に助かったという様子で、這うように家に入ってしまった。
小川に落ちた法師は人々に助けられ、一命をとりとめました。しかし、連歌の賞品として入手した扇や小箱などはずぶ濡れです。
「持ちたりけるも」は「持ち/たり/ける/も」と品詞分解します。「たり」は存続の助動詞「たり」の連用形で、「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形です。「ける」の後ろには「もの」などを補って訳すとわかりやすいでしょう。
「入りにけり」は「入り/に/けり」と品詞分解します。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形で、「けり」は過去の助動詞「けり」の終止形です。「~にけり」で「~してしまった」と訳します。
飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ
【現代語訳】飼っていた犬が、暗いけれど主人を見分けて、飛びついてしまったということだ。
猫又の正体は、法師が飼っていた犬でした。この犬は、帰ってきた飼い主に喜んで飛びついたのでしょう。それなのに飼い主はとても驚いて、しかも、川に落ちるとは……。怖い話だと思って読み進めると、最後のオチで笑い話になるのでした。
「飛びつきたりけるとぞ」は「飛びつき/たり/ける/と/ぞ」と品詞分解します。「たり」は官僚の助動詞「たり」の連用形で、「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形です。「~たりけり」も「~にけり」と同じく「~てしまった」と訳します。「とぞ」は文末に用いて「~ということだ」という意味になります。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花(おばな)」ということわざがあります。「幽霊だと思って見ていたものが、実は枯れたススキだった」という意味です。怖がっていると、つまらないものでも怖いものに見えてしまうことを表しています。今回の猫又の話はこのことわざ通りで、「猫又の正体見たりただの犬」です(笑)
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