枕草子「すさまじきもの」の加持祈祷はインチキ?清少納言が修験者に呆れ果てた理由

枕草子「すさまじきもの」の加持祈祷はインチキ?清少納言が修験者に呆れ果てた理由 古典
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 現代のような医療がなかった平安時代は、病気を治療するために加持祈祷が行われました。加持祈祷とは、神仏に祈って願いを叶えてもらおうとすることです

「春はあけぼの」で有名な随筆『枕草子』では、清少納言が加持祈祷を「すさまじきもの(=興ざめなもの)」と批判しています。それが次の文章です。

 験者(げんじや)のものの怪(け)調(てう)ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷(とこ)や数珠(ずず)など持たせてせみ声しぼり出だして読みゐたれど、いささかさりげもなく護法(ごほふ)もつかねば、集りて念じゐたるに、男女(をとこをんな)あやしと思ふに、ときのかはるまで読み困(こう)じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験(げん)なしや」とうちいひて、額(ひたひ)よりかみざまにさくりあげて、あくびをおのれうちしてよりふしぬる。

 これを読みながら、当時の加持祈祷の様子を想像してみましょう。

枕草子「すさまじきもの」の加持祈祷はインチキ?清少納言が修験者に呆れ果てた理由

加持祈祷(画像は写真ACより)

修験者が加持祈祷で物の怪を調伏する

験者のものの怪調ずとて、

【口語訳】修験者が物の怪を調伏するといって、

「験者」は修験道(しゅげんどう)の行者、すなわち修験者です。

 修験道は、山を崇拝する山岳信仰が仏教と融合して生まれた宗教です。奈良時代の呪術者、役小角(えんのおづぬ)が開祖とされます。平安時代に空海と最澄が中国から伝えた密教と強く結びついて発展しました。

 修験者は、悟りを開くために厳しい修行に打ち込む一方で、密教に由来する加持祈祷などの呪術的な活動も行っていました。

「ものの怪調ず」は「物の怪を調伏(ちょうぶく)する」という意味です。

 物の怪(もののけ)は、人にとり憑いて病気や不幸をもたらす怨霊や悪霊、妖怪などです。権力争いが激しかった平安時代の政治では、政争で敗れた人々の恨みや憎しみが渦巻いていました。敗者が物の怪となって災いをもたらすことを時の権力者たちが本気で怖がっていたほどです。

 そんな物の怪を退治するのが調伏です。五大明王などの力で魔を打ち破る調伏には、政治的に敵対する人物を呪うことも含まれます。

いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせてせみ声しぼり出だして読みゐたれど、

【口語訳】たいそう得意顔で、独鈷や数珠などを持たせて、蝉の鳴くような声を絞り出して(お経を)読んでいたが、

「独鈷」は仏具の一種の独鈷杵(どっこしょ)です。もともとはヒンドゥー教の雷神インドラの持ち物でしたが、仏教に取り入れられました。

「独鈷や数珠など持たせて」の「せ」は使役の助動詞「す」の連用形です。修験者は誰に仏具を持たせたのでしょうか?

 答えは「よりまし」と呼ばれる人です。よりましとは、加持祈祷で神霊を一時的に宿らせる子供です

 よりましは、病人に仕えている女中や小童などから選ばれます。加持祈祷の間、病人のそばに座っていますが、しばらくすると、病人に対する恨みつらみを口走り始めます。これは、物の怪が病人からよりましに乗り移ったからとされます。もっとも、よりましがここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らすだけでしょうが……。

よりましにまったく変化がなくて……

いささかさりげもなく護法もつかねば、

【口語訳】いっこうに(物の怪が)退散する気配はなく護法童子も(よりましに)つかないので、

 本来ならば、修験者が大げさな加持祈祷で場を盛り上げていくうちに、よりましはトランス状態になったり、場の空気を読んだりして、ベラベラと何かを口走り始めます。しかし、今回のよりましは黙ったまま……。いつまでも物の怪が病人から出ていく気配はありません。

「護法もつかねば」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、「已然形+ば」で「~ので」(順接の確定条件)という意味です。そのため、「護法童子もつかないので」と訳します。

 護法童子は、仏法を守る鬼神です。名前の通り、子供の姿をしているといわれます。修験者に使役されて、病気を治すなどの働きをします。

集りて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、

【口語訳】集まって祈念していたが、男も女もおかしいと思っていると、

 関係者全員が集まって修験者と一緒にお祈りしますが、それでも何も起こらず……。その場にいる人たちは全員、「この修験者は大丈夫なのか?」と不信感を抱き始めます。

「あやし」には、「怪し・奇し」と「賤し」がありますが、ここでは「怪し・奇し」の方で「おかしい、変だ」という意味です。「賤し=身分が低い」という意味も覚えておきましょう。

加持祈祷に失敗した修験者が居眠りする

ときのかはるまで読み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、

【口語訳】(修験者は)時が変わるまで読み疲れて、「全く(護法童子が)つかない。(あっちへ)行ってしまえ」と言って、(よりましから)数珠を取り返して、

 修験者は長時間お経を唱え続けていますが、何も起こりません。キレた修験者はよりましに八つ当たりする始末――。

「さらに~ず(打消)」で「まったく~ない」という意味なので覚えましょう。また、「立ちね」の「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の命令形で、「~してしまえ」と訳します。

「あな、いと験なしや」とうちいひて、額よりかみざまにさくりあげて、あくびをおのれうちしてよりふしぬる。

【口語訳】「ああ、全然効果がないなぁ」と言って、額から上へ髪をなで上げ、自分からあくびをして(物に)もたれかかって寝てしまったこと(は興ざめだ)。

 修験者はぶつくさ言いながらあくびをして、居眠りまで始めました。もうどうでもよくなったのでしょうか?

 そんな修験者の姿を見ていた清少納言は呆れ果てます。文の最後の「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、後に「すさまじ」が省略されていると考えます。

 清少納言は「何が加持祈祷よ?インチキじゃない!」と思いながら、居眠りする修験者の姿を『枕草子』に書き残したのかもしれません。

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