湖北省武昌の北山には「望夫石(ぼうふせき)」と呼ばれる石があります。また、香港沙田区の丘の上にも同じ名前の石があり、観光スポットとして人気です。夫を一途に思う妻が石になったという伝承が残っているため、女性の忠実さと誠実さの象徴とされます。
そんな望夫石の話を『唐物語(からものがたり)』から紹介します。『唐物語』は12世紀に成立したとされます。編者の藤原成範(ふじわらのしげのり)です。
望夫石の話は中国の怪奇小説『幽明録(ゆうめいろく)』が元ネタと考えられています。以下が全文の引用です。
昔、男女あひ住みにけり。年なども盛りにてよろづ行く末のことまで浅からず契りつつありふるに、この夫、思ひのほかにはかなくなりにけり。その後、涙にしづみて、あるにもあらずおぼえけるを、我も我もとねんごろにいどみ言ふ人ありけれど、いかにも許さざりけり。これを聞くにつけても、なきかげをのみ心にかけつつ、時の間も忘るるひまなくて、つひに命を失ひてけり。そのかばねは、石になりにける。
ことわりや契りしことのかたければつひには石となりにけるかな
この石をば、その里の人々、望夫石とぞ言ひける。一筋に思ひ取りけむ心のありけむありがたさも、この世の人には似ざりけり。
今回は、志望校の入試で古典が出る高校受験生と、古典を本格的に学び始めた高校生のどちらにとっても役立つ記事を目指します。
今回はおいらが問題を出すよ。高校受験生はチャレンジしてね!
私が高校生向けの解説します。文法などの細かい知識を一緒に確認しましょう。
夫に先立たれた妻の悲しみ
同棲している男女がいて、いろいろな約束までしていたのに、夫が亡くなってしまいました。
「よろづ」は「あらゆること」を意味します。
「契り」は「契る」の連用形で「夫婦の約束をする」と訳されます。夫婦の約束とは、単なる口約束だけでなく、肉体同士の(以下略)
「ありふる」は「在り経(ふ)」の連体形で、「月日を過ごす」という意味です。
「はかなくなる」は「死ぬ」を意味します。もとになった形容詞「はかなし」には「あっけない、むなしい」の意味の他に「幼い、取るに足りない」などの意味もあります。
「住みにけり」などの「にけり」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に、過去の助動詞「けり」の終止形が接続した形です。既に完了した出来事について、その事実に改めて気づいたときの詠嘆の気持ちを表します。「~してしまったことだなあ」という意味ですが「~した」「~してしまった」と訳せば十分です。
問1. 下線部①が表す状態を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。
ア 自分の居場所がどこにあるのかがわからなくなっている状態。
イ 頼れる人がどこにいるのかがわからなくなっている状態。
ウ 自分が生きているのかどうかがわからなくなっている状態。
エ 夫が本当に死んだのかどうかがわからなくなっている状態。
問2. 下線部②の意味を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。
ア いかにも承諾しないようだ
イ どうしても承諾したかった
ウ なぜか承諾しなかった
エ 決して承諾しなかった
夫に先立たれて嘆き悲しんでいる妻は、求婚してくる男たちをすべて拒否していました。
省略されている主語の「妻は」を補いながら読みましょう。「あるにもあらず」は「生きているかどうかわからない」という状態を表します。(問1の答えはア)
「ねんごろに」は「本気で、一途に」という意味です。現代語の「懇ろに(ねんごろに)」には「心がこもっているさま」という意味の他に「男女の仲が親密であるさま」を表すこともあります。古語もほぼ同じ意味ですが、今回のような意味もあるので覚えておきましょう。
古語の「いどむ(挑む)」には「恋をしかける」という意味もあります。そのため、「ねんごろにいどみ言ふ人」は単なる親切で声をかけているわけではありません。
「いかにも」は後に打消の語を伴うと「決して~ない」「どうしても~ない」という意味になります。ここでは「ざり」が打消の助動詞「ず」の連用形です。どんなことを承諾しなかったのかは、直前に「我も我もと~ありけれど」です。(問2の答えはエ)
「いかにも許さざりけり」は「いかに/も/許さ/ざり/けり」と品詞分解します。「いかにも」は、副詞「いかに」に係助詞「も」が接続した連語です。「許さ」はサ行四段活用動詞「許す」の未然形です。「ざり」は打消の助動詞「ず」の連用形ですが、「ず」とは異なり助動詞に接続します(詳しくはリンク先の記事で確認してください)。「けり」は過去の助動詞「けり」の終止形です。
命を落とした妻は石になった
問3. 下線部③の内容を二十五字以内で説明しなさい。
問4. 下線部④について、何を忘れなかったのですか。本文中から五字以内で抜き出しなさい。
妻は、亡き夫の面影ばかり気にかけて悲しんだ末に、命を落として石になりました。
「これ」の内容は前文の「我も我もとねんごろにいどみ言ふ人」の言葉です。(問3の答え「(例)夫に先立たれた自分と結婚したがる男たちの言葉。」)
「なきかげ」は「亡き夫の面影」です。「かげ」には「面影、姿」という意味があります。妻はこの「なきかげ」を忘れられないのです。ちなみに、「日のかげ」などという場合、「影」ではなく「光」の意味になることも覚えておきましょう。(問4の答え「なきかげ」)
「失ひてけり」は「失ひ/て/けり」と品詞分解します。「失ひ」はハ行四段活用動詞「失ふ」の連用形です。「てけり」は、完了の助動詞「つ」の連用形に、過去の助動詞「けり」の終止形が接続した形です。過去に動作が完了していることを表わし。「~した」「~してしまった」と訳します。
「なりにける」は「なり/に/ける」と品詞分解して、「住みにけり」と同じ説明ができます。ただ、終止形「けり」ではなく連体形「ける」になっているのは、「~だなあ」という詠嘆の意味が込められているからです。
問5. 本文中の和歌をふまえて、女が石になった理由を二十字以内で説明しなさい。
「ことわり」は「道理、筋道」という意味です。そもそも「理」を訓読みすると「ことわり」です。「や」は詠嘆の間投助詞、「かな」は詠嘆の終助詞です。(問5の答えは「(例)亡き夫との生前の約束が固かったから。」)
「かたければ」は「かたけれ/ば」と品詞分解します。「かたけれ」は、ク活用形容詞「かたし」の已然形です。「已然形+ば」で「~ので」という順接の確定条件を表します。
問6. 本文を次のようにまとめました。本文をふまえて、(ア)には十五字以内で、(イ)には五字以内で、それぞれ適切な言葉を入れなさい。
「(ア)心が(イ)ので、今の世の人には似たような心の持ち主がいない。」
「望夫石とぞ言ひける」は、係助詞「ぞ」と過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で係り結びです。強意なので、訳を工夫する必要はありません。
「ありがたさ」は、現代語の「ありがたさ」ではなく、「すばらしさ、立派さ」という意味です。(問6の答えは(ア)が「(例)妻が夫を一途に思い続ける」、(イ)が「(例)すばらしい」)
最後の一文に2回出てくる「けむ」は過去の婉曲(えんきょく)です。婉曲とは遠回しな表現で「~のような」という意味です。「~たような」と訳さず、「~た」だけでも問題ありません。
それから、名詞「ありがたさ」のもとになる形容詞「ありがたし(在り難し)」には、「めったにない、めずらしい」の意味があり、そこから「(めったにないほど)すばらしい、優れている、立派だ」などの意味につながります。
日本の有名な望夫石「松浦佐容姫」
湖北省武昌の北山にある望夫石は、戦争に出かける夫を見送る妻が石になったと言い伝えられています。前漢の政治家・東方朔(とうぼうさく)の著書『神異経(しんいきょう)』などに記述がみられます。
日本にも同様の望夫石が各地にあります。有名なのは、夫の大伴狭手彦(おおとものさてひこ)の出征を見送りながら石になった松浦佐容姫(まつらさよひめ)でしょう。佐容姫の名前は、島崎藤村(しまざきとうそん)『若菜集(わかなしゅう)』収録の詩「おきく」にも出て来ます。「おきく」は以下の記事で読めます。
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