スーパーなどで手軽に変えるキノコにヒラタケがあります。
ヒラタケはヒラタケ科ヒラタケ属の食用キノコで、大きくなると傘が平らに開くことから「平茸」と漢字表記されます。腐った木や落ち葉などから栄養を吸収して育つ腐生性です。天然のヒラタケは晩秋から春の寒い時期が旬なので「寒茸(カンタケ)」とも呼ばれます。
肉厚で美味なヒラタケは、炒め物や和え物にしたり、炊き込みご飯の具にしたりするなど、さまざまなレシピで使えます。
そんなヒラタケにまつわる薄気味悪い怪談を『宇治拾遺物語』から紹介します。『宇治拾遺物語』は鎌倉時代前期に成立したと推定される説話集です。
これも今は昔、丹波国(たんばのくに)篠村(しのむら)といふ所に、年比(としごろ)、平茸(ひらたけ)やる方もなく多かりけり。里村の者これを取りて、人にもこころざし、又我も食ひなどして年比過ぐる程に、その里にとりて宗(むね)とある者の夢に、頭をつかみたる法師どもの二、三十人ばかり出で来て、「申すべき事」と云ひければ、「いかなる人ぞ」と問ふに、この法師ばらは、「この年比も宮仕ひよくして候ひつるが、この里の縁尽きて今はよそへまかり候ひなんずる事の、かつはあはれにも候ふ。また事の由(よし)を申さではと思ひて、この由を申すなり」と云ふを見て、うち驚きて、「こは何事ぞ」と妻や子やなどに語る程に、またその里の人の夢にもこの定(ぢやう)に見えたりとて、あまた同じやうに語れば、心も得で年も暮れぬ。
さて、次(つぐ)の年の九、十月にもなりぬるに、さきざき出で来る程なれば、山に入りて茸(きのこ)を求むるに、すべて蔬(くさびら)大方見えず。いかなる事にかと、里国の者思ひて過ぐる程に、故仲胤僧都(ちゆういんそうず)とて説法(せつぽふ)ならびなき人いましけり。この事を聞きて、「こはいかに、不浄説法する法師、平茸に生(むま)るといふ事のあるものを」と述給(のたま)ひてけり。
されば、いかにもいかにも平茸は食はざらんに事欠くまじきものとぞ。
古文で主語をとらえるためのルールとは?
古文はダラダラと一文が続き、とても読みにくい悪文になっていることが少なくありません。しかも、主語が省略されていることもあります。そのため、主語に印をつけ(丸で囲むなど)、省略されている主語を補いながら読むことが大切です。
現代文で主語をとらえるコツについては以下の記事で解説しました。今回は、古文で主語をとらえるコツを紹介します。
この後に引用する古文とその口語訳では、主語に下線を引き、省略されている場合は( )で補っていきます。
これも今は昔、丹波国篠村といふ所に、年比、平茸やる方もなく多かりけり。
【口語訳】これも今では昔のことだが、丹波国篠村という所に、長年、平茸がとてつもなく多かった。
丹波国は現在の兵庫県や京都府の辺りです。丹波国の篠村という村では、ヒラタケがたくさん生えていたそうです。
「平茸やる方もなく多かりけり」の「平茸」は直後に助詞がないので、「が」を補って主語として訳しましょう。古文では次のルールがあります。
- 直後に助詞がない名詞は主語になることがある。
「年比」は、「長年」を意味する重要古語「年ごろ」です。また、「やる方なく(やる方なし)」は、ここでは「普通ではない、とてつもない」という意味で解釈します。
里村の者これを取りて、人にもこころざし、又我も食ひなどして年比過ぐる程に、その里にとりて宗とある者の夢に、頭をつかみたる法師どもの二、三十人ばかり出で来て、「申すべき事」と云ひければ、(村長は)「いかなる人ぞ」と問ふに、
【口語訳】里村の者がこれを取り、人にも分け、また自分でも食べるなどして長年が過ぎるうちに、その里の長である者の夢に、頭髪をつかめるほどの法師たちが二、三十人ほど出て来て、「申し上げねばならないこと(がある)」と言ったので、(村長は)「どのような方か」と聞くと、
村人たちは長年ヒラタケを取って食べていました。そんなある日、村長の夢に20~30人の法師たちが現れました。
古文で主語をとらえる上で、次のルールを覚えておきましょう。これらが100%成り立つわけではありませんが、困ったときに役立ちます。
- 「て」「で」の前後では主語が変わらない。
- 「を」「に」「ば」の前後では主語が変わる。
「を」「に」「ば」で主語が変わるんだね。「オニババアで主語が変わる」って覚えておけばいいかな?
引用箇所の最初の主語は「里村の者」です。そして、「年比過ぐる程に」の後で、主語が「頭をつかみたる法師どもの」に変わります。「法師どもの」の「の」は「が」に言いかえられるので主格です。
- 名詞の直後の「の」を「が」に言いかえられれば、その名詞が主語になる。
「出で来て」の後も主語は「頭をつかみたる法師ども」ですが、「云ひければ」の後は主語が変わります。「『いかなる人ぞ』と問ふに」の主語は、法師に聞いている人なので「その里にとりて宗とある者(村長)」です。「て」の前後では主語が変わらず、「ば」の前後では主語が変わっています。
「頭をつかみたる」は「頭を掴みたる」ではなく「頭小掴みたる」です。「小掴み(をつかみ)」は「つかめる程度に伸びた髪」という意味で、ここでは「頭髪を剃らない破戒僧」を意味します。
「出で来て」の「出で来」は、「て」に接続しているので連用形です。カ行変格活用動詞「来」の連用形は「き」と読むので、「出で来て」は「いできて」と読みます。
村長の夢に現れた法師たちが伝えたことは?
この法師ばらは、「この年比も宮仕ひよくして候ひつるが、この里の縁尽きて今はよそへまかり候ひなんずる事の、かつはあはれにも候ふ。また事の由を申さではと思ひて、この由を申すなり」と云ふを(村長は)見て、うち驚きて、「こは何事ぞ」と妻や子やなどに語る程に、
【口語訳】この法師たちは、「長年宮仕えを十分にしてきましたが、この里との縁が尽きて今は他の場所へ参ろうとしますことが、一方では悲しくもあります。またこのことの理由を申し上げないのでは(いけない)と思い、この理由を申し上げるのだ」と言うのを(村長は)見て、目を覚まして、「これはどうしたことか」と妻や子に話すうちに、
村長の夢の中で、法師たちは村から出ていくことを伝えます。村長は目を覚ました後、自分が見た夢について妻や子供に話しました。
「この年比も~申すなり」というセリフの主語は「この法師ばらは」です。セリフの後に「云ふを」とあるので、ここで主語が「村長は」に変わると判断できます。「見て」「驚きて」の前後で主語が変わらないので、「こは何事ぞ」というセリフの主語も「村長は」です。
「まかり候ひなんずる事の」は「まかり/候ひ/な/んずる/事/の」と品詞分解します。「まかり」は「行く」の謙譲語「まかる」の連用形、「候ひ」は丁寧の補助動詞「候ふ」の連用形です。「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「んずる」は意志の助動詞「んず」の連体形です。「~なんず(なむず)」で「きっと~しよう」と訳します。
「申さでは」は「未然形+で」の形なので、この「で」は打消の接続助詞です。「申さないでは」「申さずには」と訳します。
法師たちの長いセリフは意味がよくわかりません……。
このセリフの中に文法問題などがない限り、法師たちが「村から出ていく」という内容を伝えていることを読み取れれば十分です。細かいことを気にしないで読み進めましょう。
またその里の人の夢にもこの定に見えたりとて、あまた同じやうに語れば、心も得で年も暮れぬ。
【口語訳】またその里の人の夢にもこの通りに(法師たちを)見たといって、多くの人々が同様に話すので、よくわからないまま年も暮れた。
村長が見た夢と同じ夢を村人たちも見たといいます。この夢が一体何を意味するのかは誰にもわかりません。
「心も得で」の「で」も打消の接続助詞です。「心も得ず」で「理解できない、よくわからない」なので、同じように訳します。
村人たちが長年食べていたヒラタケの正体は?
さて、次の年の九、十月にもなりぬるに、さきざき(平茸が)出で来る程なれば、(村人が)山に入りて茸を求むるに、すべて蔬大方見えず。
【口語訳】さて、次の年の九、十月になると、以前は(平茸が)生えて来る時節なので、(村人が)山に入ってキノコを求めるが、すべてのキノコがまったく見当たらない。
次の年の9~10月、村人たちは山に入ってヒラタケを探しますが、ヒラタケを見つけられませんでした。
「出で来る程なれば」の主語は、文脈から考えて「平茸は」です。「ば」があるので、後の主語は「村人が」に変わります。さらに、「求むるに」の後は「すべて蔬(くさびら。キノコの意味)」が主語です。「ば」「に」の前後で主語が変わっています。
「出で来る程」は名詞の「程」に接続しているので連体形です。カ行変格活用動詞「来」の連体形は「来る(くる)」なので、「出で来る」は「いでくる」と読みます。
「大方見えず」の「大方~ず」は「まったく~ない」という意味なので覚えましょう。
いかなる事にかと、里国の者思ひて過ぐる程に、故仲胤僧都とて説法ならびなき人いましけり。
【口語訳】どうしたことだろうかと、里の者が過ごすうちに、今は亡き仲胤僧都といって説法の肩を並べるものがない(ほど上手い)人がいらっしゃった。
村人たちは、ヒラタケが生えなくなった理由を不思議に思っています。そんな村人たちの前に仲胤僧都が登場します。
「ならびなき」は「肩を並べるものがない」という意味で、誰よりも優れている人物などを評するときに使う形容詞です。
(仲胤僧都は)この事を聞きて、「こはいかに、不浄説法する法師、平茸に生るといふ事のあるものを」と述給てけり。
【口語訳】(仲胤僧都は)このことを聞いて、「これはどうしたことか、不浄説法をする法師は、平茸に生まれ変わるという事があるのだが」とおっしゃった。
仲胤僧都が、村に生えていたヒラタケの正体について話します。
説法とは、仏教の教えを人々に教え聞かせることです。一方、自己の名誉や利益のための説法や、仏の教えを誤って伝える説法は「不浄説法」と呼ばれます。不浄説法は罰当たりな行為なので、これを行った生臭坊主はヒラタケに生まれ変わるそうです。
されば、いかにもいかにも平茸は食はざらんに事欠くまじきものとぞ。
【口語訳】だから、何としても平茸は食べなくても不自由しないだろうということだ。
「ヒラタケを食べなくても困らないだろう」というまとめで終わっています。
「いかにもいかにも」は、ここでは「何としても、是非とも」という意味です。
「食はざらん」は「食は/ざら/ん」と品詞分解します。「ざら」は打消の助動詞「ず」の未然形で、「ん」は意志の助動詞「ん」の終止形です。「食べないようにしよう」というような意味です。
「事欠く」は「不足する、不自由する」という意味です。「まじき」は打消推量の助動詞「まじ」の連体形で、「~ないだろう」と訳します。「とぞ」は文末に用いて「~ということだ」という意味になります。
ヒラタケが生臭坊主の生まれ変わりなら、私も食べたくないわ……。
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